バイオグラフィー

   

①母体となるバンドの結成~ハートしてのデビュー

ハートの始まりは、ギタリストのロジャー・フィッシャーとベーシストのスティーヴ・フォッセンが1966年に結成した、「ジ・アーミー」です。
その後、1968年にメンバーチェンジをして、「ホワイト・ハート」と改名しました。

1971年に、オーディションを行い、ヴォーカルのアン・ウィルソンを見出し、加入させました。まもなく「ホーカス・ポーカス」に改名して、地味なライブ活動を行います。
そこで、アンはロジャー・フィッシャーの兄で、ホーカス・ポーカスのメンバーでもあるマイク・フィッシャーと出会い、恋人関係となります。

1972年、「ハート」と改名し、活動に拠点をバンクーバーに移し、マイク・フィッシャーはバンドのマネージャーになります。
そして、レッド・ツェッペリンのカバーを主力に、クラブ主体のライブサーキットを精力的におこないました。

その頃からアンの妹であるナンシーも時々参加していましたが、小説家を目指していましたため、バンドへの正式加入はなかなか決心ができませんでした。
1975年にナンシーが正式加入し、またライブ活動を精力に行った努力が実り、マッシュルーム・レコードとの契約になり、「ドリーム・ボート・アニー」でレコードデビューにこぎつけます。
その直後に、レコーディングに参加していた、ハワード・リースとマイク・ディロジェが正式に加入します。

その時のメンバーを整理すると、

アン・ウィルソン(ヴォーカル)
ナンシー・ウィルソン(ギター/ヴォーカル)
ロジャー・フィッシャー(ギター)
スティーヴ・フォッセン(ベース)
ハワード・リース(ギター/キーボード)
マイク・ディロジェ(ドラム)

②第1期黄金時代

「ドリーム・ボート・アニー」で、デビューを飾ると、たちまち、レッド・ツェッペリンの影響を受けた音楽性、アンのパワフルな歌声、ウィルソン姉妹の美貌などが注目され、マジック・マン(全米9位)、クレイジー・オン・ユー(全米35位)がヒットし、「ドリーム・ボート・アニー」のアルバム・チャートの7位に輝くなど、好調なスタートとなりました。

1976年にセカンドアルバムの「マガジン」の制作に取り掛かりましたが、マッシュルーム・レコードの方針に疑問を持ち、作業の途中で、契約を破棄し、ポートレート・レコードへ移籍します。

そこで、アルバム「リトル・クイーン」を発表し、シングルカットされたバラクーダ(全米11位)をチャートに送り、アルバムとしてのセールスも全米9位となり、第1期黄金時代を築き上げます。

このころは音楽的にはレッド・ツェッペリンの影響が色濃く感じられるハードロックやアコースティックサウンドがメインでありましたが、メルヘンチックで叙情的なハート独自の世界を感じさせる曲も多く、いまだ、このころのハートが一番よいと言う人もかなりいます。
また、そのころは、ロジャー・フィッシャーがリーダーシップをとり、音楽やアルバムのコンセプトを考えていました。
オリジナリティあふれる作品郡もロジャーの手腕が大きかったと言えます。

③ロジャー・フィッシャー脱退から低迷時代へ

1978年、「ドッグ・アンド・バタフライ」を発表し、バンドも安定期に差し掛かると思われた矢先、突然、ロジャー・フィッシャーが脱退してしまいます。
原因は恋人関係にあった、ナンシーとの破局です。同時にアンとマネージャーであったマイク・フィッシャーも破局し、マイクもバンドを去ります。

このようなことで、ウィルソン姉妹は名実ともにハートの中心となり、1980年「ベベ・レ・ストレンジ」を発表し、全米5位となるも、1982年の「プライベート・オーディション」では苦戦します。

その直後にスティーヴ・フォッセンとマイク・ディロジェが脱退します。
ロジャーの脱退が引き金になったのでしょうか?
スティーヴとマイクの代わりに、元ファイヤーフォールのマーク・アンデス(ベース)と元モントローズのデニー・カーマッシ(ドラム)というベテラン・ミュージシャンを加入しました。
そのメンバーで「パッションワークス」を発表しましたが、また不発となりました。

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④第2期黄金時代

そこで、低迷から復調するため、ハートはバンドとして、大いなる決断をします。
いままで、自分たちで作詞作曲した曲を中心に演奏するスタイルにこだわっていましたが、売れっ子の外部ライターによる売れる曲を中心にアルバムを作成することにしました。
また、それを反映し、音楽性もよりポップでメロディアスにしました。
レコード会社もキャピトルに変えて、売れっ子のロン・ネヴィソンをプロデューサーに起用しました。
また、ウィルソン姉妹の美貌も利用して、当時興隆していたMTVも多く活用しました。

1985年、セルフ・タイトルである「ハート」を発表しました。上記の努力が実を結びまして、初の全米1位という快挙を成し遂げ、シングルカットした「ホワット・アバウト・ラヴ」(全米10位)、「ネヴァー」(全米4位)、「ジーズ・ドリームス」(何と初の全米1位)、「ナッシング・アット・オール」(全米10位)とのきなみヒットし、70年代後半の第1期黄金時代以上の人気とセールスを獲得し、完全復活をとげました。

1987年に、「バッド・アニマルズ」を発表し、全米2位となり、シングルカットした名曲「アローン」は全米1位となりました。
1990年に「ブリゲイド」を発表し、これも全米3位に輝きました。
結局、3枚のアルバムを連続全米3位以内という快挙を成し遂げたわけです。
当時MTVが大流行していて、ウィルソン姉妹の美貌もレコードセールスに好影響を与えていました。

またライブ・ツアーは大がかりでアリーナクラスの会場を中心にまわり、「アリーナ・バンド」としての評価が固まり、ビッグネームの仲間入りをはたしました。
しかし、その栄光の裏では、ハートとして、自分たちが追及したい音楽性より、とにかくセールスを優先したため、いろいろ納得できないこともありました。

その当時のメンバーを整理すると

アン・ウィルソン(ヴォーカル)
ナンシー・ウィルソン(ギター/ヴォーカル)
ハワード・リース(ギター/キーボード)
マーク・アンデス(ベース)
デニー・カーマッシ(ドラム)

⑤オルタティヴ・ロックの台頭による人気低下から活動休止へ

1991年、グランジ・ムーヴメントが勃発し、その影響で、人気が下降してきました。
それとともに、ハート自身もセールスにこだわらず、ハートの原点であるハード・ロックやアコースティックサウンドをメインとするようになりました。
それを反映して、1993年発表の「デザイヤー・ウォークス・オン」も全米48位とセールスも振るいませんでした。

さらにこの時期、メンバーのハート以外での活動も目立ち始めました。
ウィルソン姉妹は「ラブモンガーズ」というアコースティックサウンドをメインとする別プロジェクトを発足させ、デニーは「カヴァーデイル/ペイジ」に参加します。

また、メンバーの脱退も相次ぎました。1992年にマークが脱退。さらに、1994年にデニーが脱退し、ホワイトスネイクに加入しました。

1995年に、アンプラグド・ライブ・アルバム「ザ・ロード・ホーム」発表しました。
元レッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズが、演奏も参加し、アルバムのプロディースも行っています。
レッド・ツェッペリン好きのウィルソン姉妹の夢もかなったことでしょう。
その後、ハートとしての活動を休止しました。

ウィルソン姉妹は「ラブモンガーズ」の活動をメインに、並行してソロ活動を行いました。
アンは舞台での活動をメインに、ビートルズのトリビュートバンド「アビーロード」に参加し、来日公演も行いました。
ナンシーはソロ・アルバムを発表し、夫であるキャメロン・クロウが映画監督をつとめる映画の音楽の作詞、作曲も担当しました。

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⑥ハートとして活動再開、しかしハワード・リースは脱退していた

2002年、ハートとして、メンバーを変えて、久しぶりサマー・オブ・ツアーが行われました。
最終日には地元シアトルでライブを行いライブ作品「アライブ・イン・シアトル」として発売されました。

ハートの再始動はうれしかったですが、大変残念なことがありました。
このツアーにはデビュー当時からバンドを支えていたハワード・リ-スの姿は見られなかったことです。
ツアーの時は、たまたまハワードとウィルソン姉妹とのスケジュール調整がつかなかっただけなのか?と思いました。

2004年、11年ぶりのオリジナルアルバム「ジュピターズ・ダーリング」を発表しました。
このアルバムのレコーディングにも、ハワードは参加していなくて、本当に抜けてしまったな、思うと悲しかったです。

ハワードは、ポール・ロジャースのバックバンドとして、またバッド・カンパニーのサポートメンバーとして、ツアーに同行し、2010年には来日しています。

⑦そして、クラッシック・ロック・レジェンドとしての再評価~現在

2007年にアン・ウィルソン初のソロアルバム「ホープ・アンド・グローリー」を発表しました。
2010年に「レッド・ベルベット・カー」を発表しました。久々にチャートにのり、全米10位を記録しました。
そのうれしいニュースの陰には、おしどり夫婦であったはずのナンシーとキャメロン・クロウが離婚という悲しいニュースがありました。
2012年には、ナンシーが大手映画会社の幹部と再婚しました。この年になっても再婚できるなんて、やっぱりナンシーって美魔女って思いました。

同年、アルバム「ファナティック」を発表しました。ウィルソン姉妹によると、ハート史上最もヘビーでハードとのことでした。
なるぼど、聴いてみますと、私たちもおばちゃんになってしまったが、若い者には、まだまだ負けへんでー、という勢いを感じさせます。

2013年、そして、ついに、ロックの殿堂入りとなりました。私は、この時を待ちわびていました。
ハートは実績のわりに評価が低いなと感じていました。女性中心バンドの先駆者として、ある意味ライバルであるフリートウッド・マック、ブロンディ、プリテンダーズが殿堂入りしているのに、なぜハートはまだなの、と思っていましたが、このニュースを聴いて、ハートもやっと正当な評価をされたな、と思うと、心底うれしかったです。

2015年に、アンは一般男性と結婚します。二人は長年の友人だったようです。

2016年はアルバム「ビューティフル・ブロークン」を発表します。
このアルバムは新曲が4曲ほどで、後は過去曲のリメイクです。しかも、その過去曲も80年代前半の低迷期の曲ばかりです。
本当は、その売れなかったような曲が本当にやりたい曲なのかな?また、ロックの殿堂に入っても、低迷期のことを忘れないでおこう?と思ったのかもしれません。

その後、アンの夫がナンシーの息子に暴力をふるったとかで、姉妹の関係が悪くなり、活動休止しました。

しかし、2019年に活動を再開し、アルバムの制作予定ということです。
また、結成~90年代ぐらいまでの伝記映画を企画中ということです。